【我逢人】って、禅の言葉ですが・・・

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この記事を書いたきっかけ

おしらさんがYouTubeのサブチャンネルで1冊本を紹介して下さっていまして。
【心配事の9割は起こらない】
という本なのですが、禅の教えについて、とてもわかりやすく、読みやすく伝えて下さっています。
1つ1つが短いので隙間時間に読めますし、何かに行き詰まった時に救われるページが都度あると思うので、いつも鞄に入れては読み返しています。本があまり好きでない方でも読めます!おすすめです!



で、ミセスの楽曲にある【我逢人】こちらも禅の言葉で、「全てのものごとは、出会う(出逢う)ことから始まる。だから人と会うことや、人と会う場、人と出会う姿を大切にしなさい。」という意味になります。
この著書にもあるのですが、人との出会いって偶然ではなく、その全てが奇跡なんですよね。
でも、我逢人の歌詞にあるように、

「嫌いになった人は全部 少しの仕草でもダメになっちゃう
気づけば嫌い探しです そんな私の憂いを綺麗に洗って下さい」


人を嫌いになるきっかけってそのほとんどが些細なことであり、その人の全てではないということ。
誰にでも仏性(優しさ、思いやり、あたたかさなど)があることを信じること。
そこを見ようとする姿勢が大事であり、人に対するネガティブな感情や評価の背景には実は色眼鏡をかけた自分がいるのだという事を知る必要があり、自分の見方を変えれば、嫌いと思っている人の見え方も変わるはずなんですよね。
幸せにかたちがないように、不幸にもかたちはない。不幸って、人を憎んだり、恨んだり、蔑んだりする感情から生まれていくものではないかと思います。
この広い世界の中で、人と人との出会いは奇跡なのだから、出会いを大事にしたいですよね。

そんな事を読みながら感じました。

そこを踏まえていくとミセスの楽曲って禅の精神を感じる部分がかなりあって、本を読みながら「あれ?この感じはあの曲のフレーズをイメージできる、、、」ってことがたくさんあり、禅の精神とは、結局「自分との向き合い」であり、そこに他人は関係ない。自分自身がどう在りたいかなんだなと思いました。
そんな事を考えていたら、少し紹介というか、楽曲と合わせて書き残したくなったので、感じたことを楽曲の紹介と合わせて載せていきたいと思います。

我逢人 Official Stage Mix

StaRt

微々たるものでも愛に気づけぬなら スタートに戻ろう

幸せな時間をどれだけ過ごせるかは 微々たるものでも愛に気づけるか さあ 試されよう

あたりまえのことにどれほど自分が支えられ、癒やされ、励まされ、勇気づけられたりしているか、そこに気づけるかで心は大きく変わると教えてくれている楽曲です。

愛情と矛先

「誰の意見がどう」とかいいから 君なりに今打破だ 武器は「愛情と矛先」
「僕の意見はどう?」とかいいから 君なりに形にして ほら「どうか見せてよ」

理不尽な世の中に対するやりきれない気持ちを感じる楽曲ですが、それなら、歌詞の通り他人、周りに左右されないで自分を信じて戦い抜いていく必要があるという感じでしょうか。
やはり常に大事なのは自分軸を持っている事ですよね。他人は所詮は他人ですから。
他人の価値観に振り回されずに、自分を貫いていく精神が大事だと教えてくれます。

ニュー・マイ・ノーマル

私色で彩って 誰とも比べないスタンスで
ある日突然花が咲いたらラッキー そんな調子で生きろエブリデイ

自分の「ものさし」で生きるということ。
他人と比べることから生まれる不安や悩みから解放されると心がどんどん自由になっていく、その結果自由な発想にも繋がっていく。
人は人、自分は自分、それでいいと感じさせてくれるフレーズです。

Magic

AH,「マインド1つです」 幸福呪文の史実

自分の考え方、心の持ち方次第で幸せは決まってくるということ。
実際幸せなんてものは人それぞれで、その人のマインド次第。
今、ここにある幸せに気がつけるかどうか、だと気づかせてくれるフレーズ。

How-to

生き方は自由よ 「貴方」なりで良いの
比べるまでもない 比べる意味もない

基本的に禅の教えで言うと、人と比べないと言う考え。常に対峙するのは自分自身。
そして、あるがままでいること。人と比べなければ、今自分がやれることを最大限できていたら良いですし、自分を認めてあげられる気がしてきます。

Dear

無気力な私を「無価値」だと思っても 立ち止まってみれば 風をまた感じられるから

【七走一坐】七回走ったら、一旦座ってみよ
止まることって大事であり、自分を見つめ直す時。止まってしまうと次に走り出すのが億劫になったり、不安にもなるもの。
でも禅ではそれでも大丈夫と説いてくれています。安心して立ち止まって、色々なことを考える時間を作って良いとのことです。
少しミセスの活動にも通じる話だなと感じました。

アボイドノート

悪者はどこにも居ないだろう

アボイドノートは、避けるべき音という意味。絶対ではないけど扱いにくい音というニュアンスです。
楽曲はこの音と人間を比喩して作られていると感じました。
自分のプライドに苦しめられていたり、他人と比較しがちな人にメッセージ性が強い楽曲かなと思うのですが、
悪者はどこにも居ないだろう
周りを責めてばかりいても良いことがないというのは当たり前ですが、禅の心でも人は元々は清らかで罪などない真っさらな心(仏性)を持っていて、迷い、悩み、悪事は執着や思い込みなどに囚われているから起こるのだそう。
良くない思い込みやプライドで大事なものを見失っていませんか?と説いてくれている楽曲です。
きっと、今嫌い、苦手と思っている人でもこちらの見方次第では悪者ではないはずです。

Feeling

ただfeelingに 任せてしまえばいいよ

そのfeelingに 背負わせてしまえばいい

そうさfeelingに任せてしまえばいいよ

「感情に逆らわない、なにものにもとらわれない姿」
無心でいようとか、悪い風に考えないというのは難しいこと。考えてしまうものは考えてしまうもの。
湧き上がる感情は人間らしさの現われでもあるので任せておけばいい。跳ね返そうと思うから逆にそこから離れられなくなる。
「浮かぶに任せ、消えるに任せ」で良いと感じさせてくれるフレーズだと思います。

ライラック

過ぎてゆくんだ今日も この寿命の通りに
限りある数字が減るように 美しい数字が増えるように

仏教では、私たちは自らの力によって生きているのではなく、自分を超えた大いなる存在によって生かされていると考えるのだそう。
寿命というのは元々決まっているのかもしれない。命は限りあるから減って行くけど、その限られた時間の中でたくさんの経験や思い出などを積み重ねて美しい時間を増やすかどうかは自分次第。楽しい時間や良い一日だったと感じられるかも自分の気持ちの持ち方でしかないので、人は自分の命すらどうにもできないのだから、どうにもならないことにとらわれるより、「どうにかなる!」の精神で生きていきたいですよね。

まとめ

ざっくりまとめてみましたが、ほんのごく一部です(笑)
ケセラセラもそうですが、ミセスの楽曲は決して「がんばれ」とは言わない楽曲の数々、でも今の状況に寄り添ってくれていると感じられるのはこういったマインドも含まれてのことなのかなぁと勝手に思って書かせていただきました。
先日のインスタライブを聞いていても感じたのですが、基本的に【人を否定しない】という大森さんのスタンスというか、その人の一部分でその人を判断できないわけで、誰も否定したくないという気持ちを感じました。
全てにおいて言えることですが、何かに行き詰まった時、うまくいかない時、人を責めてしまいがちですが、誰かがどうとかは関係なく、結局は自分がどうしたいか、どう在りたいか、自分の気持ちの持ち方が何より大事で、常に向き合うべきは自分自身であるということ。この本と、ミセスの楽曲に改めて気付かされたり、考えさせられたことでした。
読んでいただき、ありがとうございましたm(_ _)m

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この記事を書いた人

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